3月3日って何の日? ~ ひな祭り、耳の日‥‥ ~
3月7日(土)にひろま~れでは、平成23年3月11日の東日本大震災と、昭和8年の昭和三陸大地震・大津波で亡くなられた方々のご冥福を祈り黙とうを捧げ、過去に洋野町を襲った津波について話をしました。東日本大震災では東日本を中心に多くの方がお亡くなりになり、今でも行方不明となっている方も多数おられます。東日本大震災では洋野町は幸い死者と行方不明者はなかったのですが、過去の地震と津波では多くの方々がお亡くなりになっています。昭和8年3月3日に発生した昭和三陸大地震(M8.1)では、洋野町(当時は種市村)で、107名もの尊い命が奪われています。その時の惨状について、洋野町図書館の酒井前館長さんがまとめた『津波』の中に、「八木地区の大浜の海岸に、多くの老若男女の死体が打ち上げられ、むしろで覆われていた。その後、八木駅前の工藤旅館で一時安置された。その死体の中には訓導(今の学校の先生)も含まれていた。」と、記されています。なお、明治三陸大津波では、254名もの尊い命が洋野町(当時は種市村)では奪われています。今でも町内の海岸沿いの数か所にこの2つの津波の石碑が残っています。洋野町の子ども達には、過去に何度も大きな津波が襲来し多くの尊い命が失われた事も語り継いでいく使命と責任が私たちにはあります。


〈余談‥昭和三陸大津波の思い出「うんまっこ、け~、け~」〉 私(施設長)の祖父母は盛岡の出身であり、大正13年当時八戸線の終着駅だった種市駅で何気なく下車し、そのまま駅前で商売(飲食業)を始めたそうです。祖父母は内陸出身だったため、地震の後には津波が来ることを知らずに、地震が来た時も呑気に寝ていたそうですが、慌てて駆け込んできた隣の家の人にたたき起こされ避難した話を、幼かった私に何度も何度も繰り返し話してくれました。また昭和40年頃、小学校入学前の幼かった私に毎日のように当時まだ珍しかった「バナナお菓子」を買い与え「うんまっこ、け~、け~」(標準語だと「おいしいから、たくさん食べて」の意味)と言いながら甘いお菓子をくれる小柄で腰の曲がったおばあさん(Oさん)がいました。どうして私に毎日お菓子をくれるのか当時はわかりませんでしたが、その時の津波で流され亡くなった幼かった5歳と2歳だった息子が、私とそっくりだったからという理由を後に知り、あの時のおばあさんの姿や私にかけ続けた温かい言葉の意味を知り、涙したものです。今ではほとんど見かけなくなった「バナナお菓子」を見るたびに、あの時のおばあさんの事を思い出します。

